赤いマフラーなびかせて🧣 https://t.co/qkkAmzzmBJ
— Andy Sierra 雑記帳 (andy-e49er) (@Accurasal) 2022年10月1日
追悼、書き下ろし
✳️ 昭和の時代、"テレビで観るプロレス" は庶民の身近な娯楽だった。
力道山(私の年代ではあまり知らない)から続くその門弟のジャイアント馬場、アントニオ猪木。新日本プロレス、そして全日本プロレスという名の興行団体が、アメリカプロレス界とコラボし興行していた時代だ。スタン・ハンセンとか、アブドラ・ザ・ブッチャー。カール・ゴッチというストロング・スタイルのプロレスリングでテレビのスポーツ界を賑わした。
70年代日本の高度経済成長の時期とも重なっているだろう。その後…記憶に残るのは昭和の漫画ヒーローを体現したタイガーマスク。さらには長州力などへ連綿と続いてきた。
✴️ 時代の寵児たちが『テレビの中で暴れ回る、イコール元気に活躍している』正のエネルギーの発露だったように思う。
「元気があればなんでもできる」(猪木)
コント55号やドリフターズしかり、である。(若い世代の人はご存じないでしょう)
💮 特に『アントニオ猪木』は遠くブラジルで🇧🇷若くして苦労した。力道山に見出されてスカウトされ、日本に帰ってきて時代を牽引した。当時、力道山の鉄拳制裁に耐えた話も聞く。
あの人は日本人、特に「男子」にとって、シンプルで、とにかく強いエネルギー源だった。あの(人によっては "ベタな" というかもしれない)イチ、ニィ、サン、ダーっ、は言葉で書くにはあまり適さない。生で本人がやってこその、元気の伝わり方なのだから。
先日テレビ登場したのは、ご本人が病床から車椅子に乗り換えた姿。確かトレードマークの赤いマフラー🧣を首にかけていた。体調がすぐれない中、力の限りのパフォーマンス。拝見した時、これが最後と覚悟されていることを私は肌で感じた。
猪木氏は自分の姿を最後まで見せることで、その生き様を私たちに見せてくれた。教えてくれた。最後まで、強く潔いエールだった。
ありがとう。アントニオ猪木。
リングを引退して去るときのことば。
出所: 元気の代名詞「アントニオ猪木」の名言
http://www.genki-project.net/meigen-antonio-inoki/#outline__2
イノキアイランド https://t.co/NOqxOnbOoL
— Andy Sierra 雑記帳 (andy-e49er) (@Accurasal) 2022年10月2日
✳️ 使い古された言葉になるが…。
『一世を風靡する』『一時代を築いた』のが、馬場さんであり、猪木さんだった。野球では、王・長嶋、"巨人・大鵬・卵焼き" だった。
猪木さん、安らかにお眠りください。とても寂しくなります。 https://t.co/HrBsKT1rKg
— Andy Sierra 雑記帳 (andy-e49er) (@Accurasal) 2022年10月1日
(失礼して)またもや追伸になるが…、
今年 2022年
残念なことがあまりに多く、強く記憶に残る年になるだろう。
自分に強い力を与えてくれた、思いを共有できるひとびとが去っていく。自然界の法則。それはまた、自身の身近なよく知る年代の人たちが消えていく過程。だから心が痛む。生きている限り『挑戦』して行きたい。合掌して追悼。