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“道” 「迷わず行けよ 行けば分かるさ」

燃える闘魂アントニオ猪木、巨星墜つ

追悼、書き下ろし

✳️ 昭和の時代、"テレビで観るプロレス" は庶民の身近な娯楽だった。

力道山(私の年代ではあまり知らない)から続くその門弟のジャイアント馬場アントニオ猪木新日本プロレス、そして全日本プロレスという名の興行団体が、アメリカプロレス界とコラボし興行していた時代だ。スタン・ハンセンとか、アブドラ・ザ・ブッチャーカール・ゴッチというストロング・スタイルのプロレスリングでテレビのスポーツ界を賑わした。

70年代日本の高度経済成長の時期とも重なっているだろう。その後…記憶に残るのは昭和の漫画ヒーローを体現したタイガーマスク。さらには長州力などへ連綿と続いてきた。

✴️ 時代の寵児たち『テレビの中で暴れ回る、イコール元気に活躍している』正のエネルギーの発露だったように思う。

「元気があればなんでもできる」(猪木)

コント55号ドリフターズしかり、である。(若い世代の人はご存じないでしょう)

💮 特にアントニオ猪木は遠くブラジルで🇧🇷若くして苦労した。力道山に見出されてスカウトされ、日本に帰ってきて時代を牽引した。当時、力道山の鉄拳制裁に耐えた話も聞く。

あの人は日本人、特に「男子」にとって、シンプルで、とにかく強いエネルギー源だった。あの(人によっては "ベタな" というかもしれない)イチ、ニィ、サン、ダーっ、は言葉で書くにはあまり適さない。生で本人がやってこその、元気の伝わり方なのだから。

先日テレビ登場したのは、ご本人が病床から車椅子に乗り換えた姿。確かトレードマークの赤いマフラー🧣を首にかけていた。体調がすぐれない中、力の限りのパフォーマンス。拝見した時、これが最後と覚悟されていることを私は肌で感じた。

猪木氏は自分の姿を最後まで見せることで、その生き様を私たちに見せてくれた。教えてくれた。最後まで、強く潔いエールだった。

ありがとう。アントニオ猪木

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リングを引退して去るときのことば。

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出所: 元気の代名詞「アントニオ猪木」の名言
http://www.genki-project.net/meigen-antonio-inoki/#outline__2

✳️ 使い古された言葉になるが…。

『一世を風靡する』『一時代を築いた』のが、馬場さんであり、猪木さんだった。野球では、王・長嶋、"巨人・大鵬・卵焼き" だった。

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Reuters on Twitter: "Antonio Inoki, Japanese pro-wrestler politician with North Korea ties, dies https://t.co/szzZxAUywE https://t.co/1y87YU7fkd" / Twitter

 

(失礼して)またもや追伸になるが…、

今年 2022年 

残念なことがあまりに多く、強く記憶に残る年になるだろう。

自分に強い力を与えてくれた、思いを共有できるひとびとが去っていく。自然界の法則。それはまた、自身の身近なよく知る年代の人たちが消えていく過程。だから心が痛む。生きている限り『挑戦』して行きたい。合掌して追悼。