Andyの雑記帳blog (andy-e49er) ⁦‪@Accurasal‬⁩

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こころのよりどころ

2011.3.11. 東日本大震災で被災された方への変わらぬお見舞い、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りします。

 メディアほか多くが、何かひと区切りのように『10年』を強調される。しかし被災者とそのご家族には、10年経ったから「何」ということもなく年数は無関係『区切りなんてない』→まだ被災や避難は続いている(方もいらっしゃる)などのお話があることを認識しています。まして原発後処理はまだまだ終わりません。

 以前仕事でご一緒した方が、こんな染み入る♪表現で発信をしていたので、感動して🥲シェアさせていただきたいと思います。

Remembering, 11th March 2011, 3-11 - My thoughts are with all who have suffered and are still suffering. " ▼

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 当時の私は所属会社のコンピュータ系事業部門の企画本部という経営企画や経営管理組織にいて、BCP責任者でした。

「あぁ大震災来ちゃったか」と思いつつ、職責のこともあるので、あの日の2時46分からしばらくして、社内のアナウンスや上司同僚との話し合いなどのあと、自らの判断で府中の会社ビル内に留まりました。長い夜でした。会議室にTVがあり、津波の様子を見ました。ここでは当日の詳細は書きません。

 翌朝8時半に電車が動いたと知ってから週末に帰宅しました。当夜に夜通し歩いて川崎や横浜方面の自宅に帰った人も多かった。誰彼となく「どうする?」「歩いて帰る」「気をつけてね」とか、「私は自転車通勤で近所だから」など、身近な人との会話が飛び交いました。

 大都市、特に東京都心では、震災後の反省で帰宅困難者のこともあり、後に都心の会社は3日位は社員を中に収容できるようにすること。帰宅はすぐにはさせない(道路混雑や余震による被害を避けるための)方策へと転換しました。まずはすぐには動かないことへと大きな方針と具体的な対応策が変化していますね。

 10年前 : 3/14(月)から本社で社長以下始まった災害対策とBCPは確か2週間、毎朝続き、それにBU長直下で対応していました。

業務上のストレスも半端なく、毎日遅くまで本社にあるデスクに寂しく?詰めていた記憶は今も残っています…(≧∇≦)

 でも津波で亡くなってしまった人やそのご家族のことを想えば、当時自分の受けたストレスなんて、ちっぽけなゴミみたいなものですね。(心の狭さに改めて反省しきり)💦 

人はたった一人では生きていけません。家族や友人など "こころのよりどころ" つながりの大切さがよく分かります。今のコロナ禍で顔を合わせられない長い外出や会食自粛の日々の中で、そんなことを再確認しました。

(昨日のfacebook投稿を元に書き加えて掲載しています♪♪

最近の感謝🔻