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自転車も自動車と同じ『命の危機』

/// 自転車は使い方によっては凶器になる。強盗が包丁やサバイバルナイフを誤った目的に使っていることと同じことになってしまう。///
『東京都が都条例で自転車へのナンバープレート装着義務化を検討。現実は自転車による深刻な事故が起きる一途だし、それにただもううなずくばかりだ。ナンバープレート装着により、自転車利用者は責任を抱えることになる。危険運転の抑止、運転マナーの向上に効果があるという。さらに人との接触事故が起きた際のひき逃げ防止、自転車の放置防止などにも期待できる』
Twitterから転載・加筆して ) コレいます、人の迷惑や事故危険の想像力に欠ける輩(Yakara)/連中。
 ●いつかこういう人間が取り返しのつかない死傷事故なんかを起こす。後悔しても遅い。「自分だけは大丈夫」なんて、何の根拠もなくにみな思ってルール無視で自転車に乗っている(場合がある)
=これこそ、原因や背景には「想像力の欠如」があるのではないか。つまり、「事故を自分が起こしたらいったいどういう影響や結果になり、どんなに苦しく大変な思いをするか」を「想像してみる」ことが彼らには出来ない。その力がない。シュミレーションできない「人」ということ・・・責任と後悔は全て加害者にあり。
 ●実はこれ・・・、アメリカ国内だったらメチャメチャ大変なことなのだ。(一般には自動車による歩行者などへの)交通事故で、「損害賠償」は被害者側から超多額の請求がなされる。仮に未成年者なら、後見人である親が、成人なら本人が、破産するくらいの高額の賠償の大変さがある。
(なにせ賠償金は億円単位だから)

 ●アメリカでは横断歩道があれば200%、車は事前に数メーター手前できっちり停車。・・・して歩行者の横断中は、文字通り「びた一文」動かない。これ当たり前。常識。そもそも歩道の直前では、スローダウンするし、なぜならいつでも(故障者に備えて)"ピタっと停止できる" 速度で運転する。もし横断歩道がそこになかろうとも、車道であろうとも(自動車専用道路で歩行者の歩行が禁止されている場所でない限り)人を引いたら100%責任で賠償が来るので「運転」は非常に気を使う。歩行者が超最優先は徹底している。それはアメリカではごくごく当たり前。誰も「超」なんて感覚はない。ごく自然な日常なのだ。
彼我のGapたるや恐ろしいくらい大きいものがある。
 ●(私自身)10年ほど前に、それまで6年弱住んでいたアメリカから日本へ帰国。そうしてまず毎日イライラ・はらはらして見ていたのが、?に街路に捨てられるタバコの吸い殻、であり、?に歩行者の多い市街地での自動車/自転車運転マナーだった。
みなさん気にも留めてないと思いますが、「日本では」信号なしの横断歩道で自動車が先に停まることはまず皆無、と言ってよいし、当たり前(Default)は歩行者側で車が向こうから来るかを見つけて来れば自分が待つ。
(ですよね〜)
これ完全に真逆なのが世界の先進国の趨勢ではないかと私は思っている。日本はいわば交通ルール超後進国、未開発国、低開発国なのだ。非常に残念だ。おそらくは北欧の国々も自転車通勤が発達していると聞いているのでマナーの徹底度は超先進国なのだと思う。
早く見習い、追いつきたいものだ。成熟したよい社会にならなければ安心して子供たちやお年寄りが歩けない!
 ●(Twitterから) 今のうち知るべき;  TwitterからのRT @ur_bike_satoさん:
自動車を運転しているとき、自転車で」引用⇒
http://e-kensin.net/modules/weblog/details.php?blog_id=2640
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