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父の命日が二つある九月

 父の命日が近い・・・/// ところで、米国在住の長い友人MickieさんによるFacebook記事を読んで、私も亡くなった実父のことをリアルに思い出した。(父は、私が家族より先に、1997年Boston単身赴任期間中に、「癌」と分かり、その後手術の甲斐なく1年後、70歳を目前にした69歳で他界した)
 父の生前。私が海外出張して成田へ戻ったとき。(父の住居は松戸市。成田へ遠くない。私の姿を見に来たのだろう〜) 空港に予告なしに来ていたことが(まだ元気なころだが)あったのを記憶している。
 なぜその日に私が帰国と分かっていたのか、前後の背景などは思い出せない。たぶんスケジュールを話しておいたとかで、米国便を調べて見つけたのだろう。/// ともあれ私は普通通りにイミグレを通り、いつも通り外へ出てきた。そのときに彼を見つけた(というか、父から突然、My first name で声をかけられたのだった・・・)/// 会社の出張同行者もまだ一緒に歩いていたので、驚きとともに、「いい大人に父親が出迎えか」との思いが頭をよぎり、とても恥ずかしかった・・・が。///
 いまとなれば自身の年齢とともに「こどもの仕事ぶりを垣間見たい」という親の気持ちは、だんだんと理解(または想像が)できるようになってきた。(「そういうもんなんだなぁ」)同意される方は年代が近いと思います(笑)。上の子;高校時代の試合は一度も見せてもらえなかった。「(親が来てることは恥ずかしいから)絶対に見に来るな」と言われていて。若い時とは親との距離感はそういうものだ。


 /// この話、さらに先へと続けると; ・・・その翌年 99年9月には妻の父が。更にその翌年2000年6月には妻の母が。相次いで病気で逝ってしまった。これは全くの偶然なのだが、考えても見れば、Bostonに赴任した翌年から3年連続で、それも私がボストンに仕事でいた、たった3年3か月の間に肉親を3人も亡くしたことになる。散々だと言えなくはないだろう。(だから、「Boston時代」は今も元気な私の母から言わせると、「暗い話」「嫌な場所」ということになってしまう。彼女はSFOへは父と一緒に来たがBostonにはついぞ来なかった。と、言うより看病で来れるわけもないのだ)
 /// (3回目の)海外赴任はもうしない。・・・という後日の決断の元になった。(2004年春;帰国後わずか1年半のショートリリーフが終わって埼玉県から府中市へ転勤したての頃、また海外勤務を打診されたが事情を説明してDeclineさせていただいた)/// 結果的には、先進国のアメリカ合衆国に2回も勤務しておいて、3回目の海外(可能性は先進国以外)は自分の都合で断ったズルイ男、ということになっているのではなかろうか? 会社というものは、誰も全くそうは言わない。しかし心の中では「あの人は・・・」と思われているのに違いない。そう今も思っている。
/// みな、誰でも家族が元気なうちには人は、ほとんど気付かないものだが、健康で笑っていられるうちが「華」に違いない・・・両方の父の命日は近くこの9月だ。  もしも15年前、2回目のアメリカ赴任時に、かわいい盛りの5歳と1歳半の孫2人が日本で近くにいたとしたら、彼らは張りが出て、きっともう少し孫の顔を見たりの長生きができたかもしれないなぁ、などと思うと、今更だが胸が痛くなる
(合掌)
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