Andyの雑記帳blog (andy-e49er) ⁦‪@Accurasal‬⁩

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一瞬の夏、サイレンの夏

見えること、そして見えないこと 
 毎年8月を迎えるとNHKを中心に太平洋戦争など歴史ものが放映されはじめる。そして(未だに前近代的な感じもあるが)サイレンを鳴らして隊列を組んでざっくざっく歩くとても旧日本軍っぽい「マナー」と坊主頭の外見を保つ「全国高校野球選手権大会」も登場する。過去の悲劇の反省は大成したか。分析はあるか。サイレン、詰襟なんてのは、旧態依然とした文化の名残ではないのか?
★進化、変化したことと、そうではないこと。
★保つべきこと、と、忘れていくこと。

@ノスタルジーの夏
 覚醒意識。猛暑とか酷暑の天気予報が流れる。定番のセミの鳴き声をうるさいと覚えながら聞き流す。人は忘れるから生きていける。高い陽射しの日がきては過ぎる。気づけば一年の半分は飛び去っている。Calender Quarters Q3半ば。日本企業の多くは上期の反省を迎える前。けだるい、いっとき。地元はお盆の仏事。あちこち、田舎で町で、夏祭り。涼しくなること、イコール、秋の到来までにはまだ長い日々を待たねばならない。それもどれだけの人が覚えていることか。
@夢中の夏−赤とんぼを見るまで
 小学生の頃、一日が長かった。そういう人は多い。鮮明な記憶。体は小さく、広い世界をまだ見ない、無知で純真無垢な生き物。日中、林に入ってクワガタを探し見つけ目が光る。麦藁帽子や野球帽が体の一部。夕方、入道雲が高かった今日一日をぼおっと思う。疲れた感覚は持たなかった。腹は減ってた。汚れた顔や汗で湿った衣服は全く気にもならなかった。そんな暖かい眼で見られている時代が誰にもあった。
@忘れ去られた夏
 大人と言われるものに。いつのまにかなり、自分の子どもが生まれ育ち大きくなる。すると気づかないうちに何かが違う自分になっている。パラレルワールド。昔、なりたかった人や、なろうと一瞬でも思ってた「もの」は遠く届かないまま。忘れたことすらも忘れている。それをさらに忘れて毎日を行き急ぐことに忙しい人もいる。 
探したいものはなんですか。 
人を大切にするしあわせのビジョンを失い方向性が見えないこの社会。貧困政治経済社会の情況がある。隣のご高齢者がお亡くなりになっても気づかない世の中が出来た。朝起きて、通い、働き、税を納め、摂取排泄し、やるべきことはやり、できないことを先送りし、みな生きている。本当に探したいものをもはや、思い出せないほど遠くに置き忘れた・・・かもしれない。 
@探す夏
 それでも何かを探さずにはいられない。この世に授かった命を、志半ばに短く失った、やさしかったひとたちの分まで。誰しも後ろだけを映し出す鏡を眺め、あるいは見もしないでただ後ろ向きに歩く。歩き続けないと生きられない。明日は分っているけれど分ってない。せめて高い目標だけは見失いたく無い。
@Invictus
Invictusを観た。Nelson MandelaとRugbyの南ア国家チームの挑戦の物語。
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