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ITベンダーの栄枯盛衰

 をこれまでにイヤと言うほど数多く見てきた。1997年から東のハイテクエリア Boston (家はBelmont)に住んでいた。そのとき Boston郊外の Maynard という、緑に深く多く取り囲まれた環状線128号の外側の街、森の中の綺麗な場所にDEC本社はあった。DECは80年代にはやっていたミニコン(ミニコンピュータ)分野で有名なメーカーで、Digital Equipment Corporation を略してDECと言っていた。ちょうどNEC日本電気(Nippon Electric Corporation)なのと同じ。IBMは、International Business Machines社だというのはつとに有名。
 さてその旧DEC本社ビルを訪れたのは、一PCメーカーに過ぎなかった新興Compaqに同社が買収されてしまい、既に本社ビルの地からも撤退。そこが私の大口アライアンスパートナーである某ST社に変わっていた頃だから、1999年くらいだったろうか。そうこうしているうちに3年3ヶ月を過ごしたBostonに別れを告げ、2000年7月4日独立記念日にボストン事務所から、同じ部門シリコンバレー事務所(Santa Clara在)に転勤した。言わずもがなの西のハイテクエリアである。その頃にはCompaqの西海岸事務所が Sunnyvale/Cupertino 界隈、ハイウエイI-85号の近く、一大キャンパスにあった。あぁこの会社があのDECを買い取ってしまったんだな、という記憶がある。そして通りのコーナー看板はまだ赤いロゴマークのCompaqだった。当時いわゆるEDI(電子商取引)研究が業界の合従連衡でかなり大がかりに進められていた。e-Hitex というコンソーシアムの中核幹事会社はCompaqだった。なので数回そこに出かけていったことも。
 ・・・ 後日、隣接するHewlett Packard(HP)がCompaqを丸ごと買収。だからそこは既に大規模なHP村になっている。CompaqとHPは、PC事業を統合した。当分の間は両社それぞれのブランドでPCを発売していた。Compaqのマイク・カペラスCEOと、HPに迎え入れられていた元AT&T幹部だったカールトン・フィオリーナCEOはともに共同CEOに収まったと記憶している。フィオリーナCEOは苗字からしてイタリア系?なのか割と細面の顔立ちで上場企業で著名なHPのトップとして当時相当もてはやされていたことを覚えている。なかなかの美人だったし。
 やがてCompaq色は一掃され、そうこうしているうちに今度は大株主とフィオリーナCEO間、そしてHP創業者一族のHP取締役との間で、経営方向の相違から揉め事が勃発。マスコミでも当時よく報道されていた。しかしそれも既に遠い遠い過去の話、となった。その後HPは、PCやPrinterで事業の復活を果たしたから、経営方針の違いなどは勝てば官軍となったのだろう。いまはMark Hardという名うてのCEOに率いられている。シリコンバレーを代表する元ガレージで起業した有名ベンチャーの第一号みたいな存在であるHPは、今も健在だ。しかしその影に消えていったITベンダーは数多いことだろう。
 ITベンダーの栄枯盛衰は激しい。上場企業であるからこそ、株主資本市場と言う「外部」から(実際には投資している株主ではない、業界アナリストからも)やいの・やいの・批判されたりもする。経営責任も含め、公然と公の場で経営方針を追求される。グローバル市場での生き残りにはアナリストたちの批判や厳しい質問に対応し、説明責任を着実に果たしつつ、かつ経営スコアも着実に上げないといけない。それを実現するには戦略的な動きをSpeedyに行い、常に血の入れ替えも行い、経営環境に合わせた、いやそれを先取りする位の俊敏な運営が求められる。この辺までは並みの経営者なら当然の責務だが、一流になりたければさらに(的確な)先見の明(と、それによって経営を成功に導くこと)が絶対に必要だ。米国東西のハイテク地域に鎮座する「本社ビル」や所在地の移り変わりという栄枯盛衰の様子をフォローするだけでも、ITベンダーの経営の舵取りはまさにわが身わが社のことのように身につまされる。

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