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アイルランドへ飛ぶ(1997年4月)

 ◇ボストン勤務での初海外出張はアイルランドの首都ダブリン、そしてコーク(Cork)だった。
 97年ボストンへの着任間もない4月にアイルランド・ダブリンへ飛んだ。
当時からアイルランドは企業向けの優遇税制を敷いておりDellIBMなど米国一流エレクトロニクスメーカーがこぞって製造進出していた。そのメリットのひとつが米国東海岸との時差が5時間程度、また物理的な距離が米国西海岸へ行く(6時間)よりも近くて便利、ということがある。 そこでCFL氏との邂逅を得た。彼はS社がL社に買収され一旦L社へ行ったが嫌になってまた新生S社へ舞い戻った人。中国系アメリカ人で流暢な日本語を話す。主張を流暢かつ自然に英語と日本語を駆使して通訳し八面六臂の活躍をしていた。アメリカへ来たばかりの自分としてダブリンで直面したその状況には一種の衝撃を受けながらも見習わねば!と思った。一方でしかしこれは勝てないなぁとも。ダブリンで見た事、聞いた事が血となり肉となって悔しさもろとも自分のPracticeへつながっている。例えば、始めはうまく対応できない専門(技術)用語であってもSlow&Steady、地道な努力で必要な知識は必ずや追いついてやっていけると分かった。
 ◇人を相手にするのがビジネス
 後日、彼とはサンタクララへ転勤してからも行き来があった。西海岸で打合せをしていたときにもビルで顔を合わせたり、といった具合だ。ボストンでは彼を含め3人一緒に食事をしたり、交流が継続していた。取引先のアメリカ人と飯を食べながら技術的な会話になんとか加わり苦痛を感じないことは最低限要求される。仕事を離れても趣味やスポーツなど一個人として楽しい会話ができるのも家族と一緒に米国内に住んで自ら生活者としての感覚を持つ強みでそれが次のステップへつながっていく。