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 夏休み、函館に行った中学時代

 夏休みにはよく函館に行った。両親のふるさと。
 国鉄上野駅から寝台特急に乗り、東北本線の緑深い山の中をどこまでもず〜っと。タンタンタンと、線路の継ぎ目の音を子守唄代わりに聴きながら走る。列車内の寝台を車掌がセットしてくれて、子供は上段で揺れながら眠る晩を経験した。そして、青函連絡船に乗って、函館港に辿り着く。
 帰路: いまはもうなくなってしまった、青函連絡船の銅鑼(ドラ)の音(ね)、別れのテープ、色とりどり。それが、函館から本州へ戻る時の涙の「儀式」だった。
 函館は、日本でも有名な造船所があり、僕の父はその会社に勤めていた。市電が走るレトロな街。十字街と言う名前の中心「市街地」があって、坂がたくさんあって、函館山へ続いている。逆を見れば海が広がっている。山の中腹にはロシアの雰囲気を醸し出している聖ハリストス協会がある。五稜郭には明治維新の先達の名残がある。湯の川は温泉街として有名。北海道の新鮮な海の幸を扱う朝市も有名だ。なんとも、エキゾチックな街です。函館山が背後に控え、観光地にして北海道の玄関口(だった時代)。そして有名で主要な海外に開いた「貿易港」でもあった。今、思えば、自分が貿易や海外取引になにがしか関わるのは、そういう祖父や父から受け継いだDNAのせいのようにも思える。祖父は函館税務署に勤めていた時期もあったと聞く。父の時代は高度成長期で日本製の大型船が売れに売れていた時代。通産省での輸出許可や、当時の日本輸出入銀行などから輸出用融資などを受ける経理、そして営業を担当していた。私が日本を離れてアメリカへ渡り働き生活することになったのも、函館を離れて東京で暮らすことになった父の代からの「縁」であるような気がしている。父の代は北海道から東京へ、私の代は日本からアメリカ合衆国へ。いろいろな思いが交錯する美しい街。
それが は こ だ て だった。
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