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『岸辺のアルバム』@多摩川・河川敷

「多摩川の 清く冷たくやはらかき 水のこころを 誰に語らむ」
作者・・・石碑が崩し字なのでよく読めませんでした・・・間違っているかも・・・(岡本かの子

 2014年、初めての三連休日曜。うららかな陽気に誘われて・・・。

カロリー消費目的でもあり、初めて?自宅から「徒歩で」多摩川へ行き少し歩いてきました。



二子新地側多摩川土手から望む、二子玉川遠景(Rise Shoppping Mall、
マンション群など)だいたい2時台の終わり頃です




同じく、二子玉川遠景、これは帰りがけで4時近くです



「多摩川の清く冷たくやはらかき水のこころを誰に語らむ」(岡本かの子?)
和歌の作者名が崩し字でよく読めません・・・






この辺りは「しものげ」(下野毛)と言います

 この石碑の道標の辺りに写真の人工・人造の小川、清流が流れています。ちょっとした広場になっていて家族連れ、なかんずく小さい幼児を連れた3人連れが多くいて、冬の空に凧揚げなんかしてたりします。



・・・冬の夕方で陽が低い。4時位にはちょうど光線の射してくる真後ろが西方向です。そっちにある多摩川の土手の堤に太陽がかかってくる感じになってます。この姿では川を向いてます。この長〜〜い影の写真で上部が川向うの東京都世田谷区で、地名は「上野毛」です。

 上野毛は、うえのけ、じゃなくて「かみのげ」と読みます。初めてこの(駅名)地名を知ったときはえ?ドキっ!?としたかも(笑)・・・ですが、意味としてはなぁに、 "のげ" の上側(立川の方から川下へ下ってくる「国分寺崖線」の武蔵野台地の上側、イコール世田谷区で多摩川の東京都側)なのか、下(多摩川の川崎市側で台地ではない低地の方=下)か、という意味になっている地名なんですね。



・・・木の向こうには「第三京浜」の赤い橋が見えます

第三京浜国道(有料の自動車専用道路。実質、高速道路。起点は世田谷区で目黒通りから東京料金所を通って横浜へ向かう道で多摩川では橋が架かります。ちょうど田園都市線大井町線の東急二子玉川駅と、東急東横線南北線の通る武蔵小杉駅の間。二子玉川からは、小杉方面へ2/5くらい多摩川を下流に下った場所にこの橋が架かっています。

 いずれにせよ、江戸時代、多摩川の川のこっち側も『武蔵ノ国』でした。それは、今でも武蔵溝ノ口武蔵新城、武蔵小杉と呼ぶことに端的に現れています。





♪この木なんの木、気になる木♪



 今読んでいる吉川英治の『宮本武蔵』; 主人公はご存知剣豪「むさし」。彼は宮本村の「新免無二斎の子、たけぞう(武蔵)」つまり本名は新免武蔵(しんめんたけぞう)でした。宮本村の武蔵、転じて "みやもとむさし"、と呼ばれるようになった。江戸や武蔵の国などあちこちに修行の旅で歩いて来ており、あちこちに庵を構えたり、農地を開拓し農民生活を送ったりもした、と描写されています。もしかして、この木や水のほとりとかでも修行していたら・・・?・・・
ほんのちょっとですが歴史ロマンの香りを感じます。







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