貿易アドバイザーの日々雑感 (Twitter @Andy-e49er )

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ボストンの、懐かしい思い出

12年以上も前になった、昔々の「懐かしの思い出話」ということで、もう書いてもいいだろう・・・少しだけ在米勤務時代の準Privateな思い出を綴ってみたい。この一番寒い2月に。新しい春が来る前に。


Boston Logan Airport へのリンク ☞ https://www.facebook.com/BostonLogan?sk=wall
◆ボストンの懐かしい思い出#1 
 青木功プロ; 当時ニューヨーク本社駐在の私の上位上司(日本人)が知り合いだったのですね。その大会の行われる週末に彼はNYから応援に来たのです。確か(今はその名前がもうない)Bank Boston主催のトーナメント大会だったと思います。
 上司の命で、私が車を運転してローガン空港からボストンの西郊外にあるそのコースへ一緒に行ったのですね。ワクワクしたけど粗相があってはいけないということで前の週末に車で下見をして道順を覚えました。当日大会スタートのTeaupのとき、上司が青木プロと短いけど言葉を交わした。知り合い同士の会話でしたね。あれが(99年位)かな。
 当時、青木プロは日本でAMEXカードのテレビCFに出演していましたね。そのCFと同じく、Bostonへも「GMのキャデラック」に乗って来ていたこと。それが印象に残っているのですね。
 日本人で米国へゴルフ修行で来ている若者が運転手で、ある日本人若手プロがナビ役のお付きでした。3人で車でボストンまで来てまたホテルへと戻るためにプレーが終わって早々に移動されたのですね。確かNY方面から来ていたのだと思います。そのプレー後の「お帰り」まで、身支度が終わるのをじっ〜とコースで上役と二人お待ちし、そして丁重にお見送りしました。日本人の「営業だな〜」と感慨深い感動が頭と体に残りました。


◆ボストンの懐かしい思い出#2
 テニスの一大イベント、Davis Cup(男子の国対抗テニス世界大会)。その米豪大会がBostonで開催されたのですね。実はそれがDavis Cup記念すべき「100周年」の記念大会だったのでした。 
 デビスカップは(たぶん記憶では)ダブルス2試合、シングルス3試合の5ポイントで勝負を決するので、確か期間は丸3日間か最低でも2日ありましたっけ。ボストン・ダウンタウン近郊の由緒ある大きなテニスクラブで行われ相当な観客を集めたのを現場で観ました。
 会社が世界での唯一のスポンサー企業だったため「関係者」バッジを首から下げて、テントや競技場を忙しく行き来しました。それは一週間前に電話がかかってきて、翌週のスケジュールを聞かれ、手伝うことになったものでした。
 このときもNY駐在でボストンへやってきた同じ上司の命令で、私は金曜の午後と土日、大会会場へお客様ご夫妻をダウンタウンのマリオットホテルからピックアップして現地会場へお連れしたりしたのです。要するに日本語ができる秘書兼運転手です。その流れで、「君、今日の夜は時間あるの?」と聞かれ・・・。予定外にUSTR(テニス協会)主催の100周年記念レセプションにも出ろと。当日言われたのでした。誰か欠席になった人の代わりだったのか、予め上司がそのつもりだったのか分かりません。招待状はそのときに手渡しでいただきました。
 「えっ」という感じでしたが「空いてます、参ります」と即答したことを覚えています。そして急きょパーテイーにふさわしいスーツに着替えるため、いったん自宅へ車で戻り。またストロードライブを運転して、ボストンの南の端の太平洋に面している、J.F.Kennedy Museumへ取って返したのでした。なんとそこを丸ごと借り切って、土曜の夜だったかな?に行われた盛大な100周年記念パーテイーに参加しました。
 私の座席は、アメリカ現地法人のひとつの社長と同じでした。テーブルにつき、コースの食事とUSTR女性会長や豪州首相のスピーチを拝聴。半分以下しか意味が聴き取れなかった気がします。そして食事が終わり、少し砕けたころに、首相とのプライベートな記念撮影で私がシャッター押したり・・・と。にわか秘書みたいな役割を務めたのでした。


アメリカ勤務時代、それはごくまれにだけれども、このように本業以外で、国内勤務では絶対にありえない稀有で多彩な経験ができたのでした。これを含め、海外業務をさせていただいたお蔭で、世界の5大陸を訪問
いろいろな土地で、いろいろな国の日本人以外を相手に、社交の場でも、ビジネス交渉でも、なんとかうまくコミュニケーションをとりながらやっていく、という貴重な経験、現場での勉強の連続だった気がします。
80年代、90年代、日本経済が昇り調子の最後の頃。このようにいろいろと良い経験に基づく思い出をもらったのだと思います。ものづくり企業にいながらにして海外でも、ものづくり、ものづくり以外の『ことづくり』があった、そんな素晴らしい日々でした。

【 "不本意でこそ(予想外だからこそ)、感謝することがある" 】と言うことなのだと思います。


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